(番外編)地方移住して新幹線通勤する僕の毎日にコロナ禍がもたらした変化について

仕事のこと

こんにちは、夫です。

いつもと少し趣が異なりますが、3月末に突然僕の元に訪れた生活の変化について。もちろん皆さんも例外ではないですよね。そう、COVID-19と名づけられた、新型コロナウイルス感染における影響です。最近は「コロナ禍」と表現されるのが一般的になりましたね。

つい先日、紆余曲折ありようやく全国47都道府県の緊急事態宣言が解除され、国民一人一人が「新しい生活様式」を実践していくフェーズに移行しました。

政府の発出する緊急事態宣言とは別に、自治体ごとの要請もあったりで、お住まいの地域、働く場所、これらによって影響範囲は様々だったと思います。

今回は、関東圏内でありながら東京都とは隣接しない栃木県北部に居を構えて毎日新幹線で都内まで通勤していた、レアケースな僕の数ヶ月を備忘録も兼ねて記していきたいと思います。

国内感染が報道された2月の僕は

昨年12月に中国・武漢で報告されてから、日本で初めての感染者が報道されたのは確か1月下旬あたり。その後横浜港を発ったクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」の船内で集団感染が発生したことが連日ニュースで取り上げられ始めると、2月上旬以降周囲からマスクが消え始め、国内でも感染が発覚した方が屋形船での新年会に参加していたり大阪のライブハウスに出入りしていた方から感染が発覚したり、今でいうところの「3密」状態で感染リスクが高いことが徐々に判明し、人との距離にフィーチャーされ始めたのが2月中旬のこと。

対応の早いところでは、この頃から勤務体制を見直し、リモートワーク主体へ切り替えた企業も少なくはなかったですね。

当の僕といえば、多くの個人情報を取り扱うサービスを運用している勤務先柄、どんな状況であっても毎日オフィスへ出勤することが当然だと思ってました。それに対して疑問すら抱えていませんでした。だってねぇ、平常時より確かに外出リスクは高いものの働かない訳にはいかないし、不謹慎ながら当時は所詮インフルエンザ程度だろ、なんて軽い考えであったのも事実です。(皆さんもそうでしたよね?)

毎日新幹線に乗車するという環境から人一倍リスクが高いことは理解していましたが、今では当たり前になったマスクを付けだしたのも2月中旬のこと。

3月末、オフィスの移転を控えていた

会社の話が続いて面白くないと思いますが、2月に季節外れの組織編成が行われたことで、年度をまたぐ前からやたらと慌ただしくなった身の回り、輪をかけて多忙な毎日に誘ったのが、10年に一度でも珍しいオフィス移転。組織も変わりオフィスも変わりでてんやわんやの状態ながら、新型コロナウイルス感染は拡大の一途をたどり、満員電車での通勤がクラスター発生のリスクが高いという政府の見解が報道されてから、気づけば朝夕の電車から乗客が徐々に減っていったのです。

この頃からオフィス移転と並行してBCPの観点から最低限のリモートワーク環境が整備され始めたのですが、当然物理的な移動である引っ越しという一大イベントをリモートで実施できるわけもなく、3月末の移転に向け毎日毎日さよならまでのカウントダウンが始まった旧オフィスへ通い詰めていました。

周囲の変化には気づいていながら忙しさに見て見ぬ振りをしていた当時。マスクして自宅を出はするのですが、不慣れな僕には窮屈で、オフィスに着くなり外してましたね。オフィスの方が人との距離は近いというのに。ましてやランチは当然外食だし、まだ3月中は周りの目を気にしながら飲みに行ったりもして、割とお気楽ムード。

ただ、そんな僕に当事者意識を強く持たせるきっかけとなるようなニュースが飛び込んできたのはオフィス移転を数日後に控えたある日のことでした。

不要不急の県外移動が自粛され始めた4月のこと

とうとう栃木県から東京への県外移動が自粛となる報道。当時はまだ「通勤」という行為は不要不急に含まれないような見方が強かったですが、あれ他人事ではないな、と。

何より毎日新幹線で東京入りしている僕の襟を正したのは、この頃まだ僕の住む那須塩原市内に感染者が発生していなかったという事実。我が身可愛さでしかないですが、「最初の一人」になりかねない恐怖と焦燥とでもいいましょうか、これは拡大に一役買うようなことがあってもあらんぞ、と常時マスクにアルコールの手指消毒剤をカバンに忍ばせ、オフィスに着くなりトイレでしっかり手を洗ってアルコールスプレーで消毒、これを徹底し始めたのは4月頭のこと。

新幹線での乗車時と下車時に極力トイレ付近の手洗い場で手指洗浄を心がけていました。いつでも用を足せて手が洗える、新幹線の隠れたメリットですよね。

そうして那須塩原市にそして我が家にコロナウイルスを持ち込まない最大限の努力を続けているうちに、あれだけ(知らんよね)腰の重かった勤務先も事態の深刻さを理解したのか、BCP対策の低スペックなリモートツールを全社解放し、4月2週目から暫定的なリモートワークへ移行したのです。

ちなみにこの頃の那須といえば。まだまだ良くも悪くも呑気なもので、観光地に行けば観光客は比較的多いしノーマスクも割と多く見かける。感染者ゼロという状況がそうさせていたんだと思いますが、東京都内のあの懸命な雰囲気とのギャップに当時は惑わされていたのも事実。

在宅勤務がスタートした頃から、やれロックダウンロックダウンと騒がれ出して、一般消費者を抱える僕の仕事にもそれなりの影響を及ぼし、肩透かし感満載の緊急事態宣言が発出されると日本人の生来の律儀さが奏功したのか、みるみるうちに都市部で見かける人の顔が減っていきましたよね。

GWに入る前、僕は週2日しかオフィスには出社しなくなり、娘の叫び声や庭先の桜に止まる鶯の鳴き声を聴きながらZoomでWEB会議する、なんて1ヶ月前は想像すらしていなかった現実が訪れていたわけです。

ちなみにその頃、とうとう我が那須塩原市でも感染者が確認され、田舎特有の自治会会合がクラスターとして危険視され、「自治会活動は禁止」というメッセージを叫ぶ宣伝車が市中を走り回ることになったのですが、食料品の買い出しに出向いた際の感染防止意識は東京のそれと変わらない感じでした。

緩和ムードを肌で感じた5月の僕は

GWは色々とやることがあっておうち時間を苦もなく過ごしていた僕たち家族ですが、連休が明け週2日出社の毎日を繰り返すうちに感染者数もピーク時と比較すると落ち着き始め、とうとう中旬には大半の自治体で緊急事態宣言が解除され、首都圏他全都道府県が解除されたのがつい1週間前のこと。

ということで、どこに需要があるかもわからない僕の数ヶ月を振り返ってみましたが、平穏に暮らしていたつもりがそれなりの環境変化にも晒されていて、ストレスを溜めていてもやむなしかなぁと自分では思っていたのです。

でもね、自分ではノーストレス。読んでいただいている方の置かれた環境によっては不謹慎に聞こえるかもしれませんが、この数ヶ月の変化は、僕にとってはプラスなことばかりでした。

この数ヶ月の変化が僕にとってプラスに思えたのはなぜか

プラスに感じ取れた要因は、大きく分けて二つ。一つは那須塩原市へ地方移住しておいたからこそ助かったこと。もう一つは在宅勤務という新たな選択肢が生まれたことによるメリットです。

①娘に窮屈な思いをさせずに済んでいること

この数ヶ月のコロナ禍を半年ほど前まで住んでいたさいたま市内のマンションで迎えていたら、と思うと、偶然ではあるもののタイミングに感謝ですね。

長女は今1歳半。外で遊ぶのが大好きな年頃で、口を開けば「公園行こう」と言います。公園には行けない日々が続きましたが、ちょっとした公園ほどの広場はリビングの先に広がっています。土遊びも水遊びもできるので、一応は満足してくれています。

近所へ散歩に出かけても、1km範囲内でそう近所の方に出くわすこともなければ、野花と牛で溢れた環境。一通り歩いて帰るとぐっすり昼寝してくれる。さいたまだとそうもいかなかったと思います。

②嫁に気晴らしの機会を与えられていること

専業主婦の嫁は、コロナ禍に関係なく毎日毎日二人の娘と格闘しています。ただ外出しにくい世の中になり、さぞストレスも抱えていること想像に難くないです。これも人によっては批判の対象になるかもしれませんが、外出自粛が続くにつれて、僕たち家族の休日はテイクアウトランチを楽しむ暗黙のルールが出来上がっていました。観光地なのでコロナ禍の影響をより受けるのは当然のこと、少しでも応援したい気持ちもあり。

土日になると今日はどこへ美味しいものを買いに行くか相談し、マスクして車で向かう。この地には美味しいものがたくさんあって嫁の気持ちも少しは紛れたことでしょう。おかげで少し体重増加したことは否めません。。

③娘の成長に近距離で寄り添えたこと

僕にとってはこれが一番の感謝でしたね。通勤していた平日なんて、娘が起き出す前に出発し、寝入った後に帰宅するのが当たり前だったので、土日しか顔を合わせてないようなものでした。それが在宅勤務を始めると、朝は一緒になってごはんを食べたり、洗濯物を干してるとお絵描きをせがまれたり。がんばって仕事を終わらせれば毎日のように一緒にお風呂に入ることができて、長女はお風呂に入るときだけ甘えてくるようになりました。今までは全部ママだったのにね。

何よりこの1歳半から2歳を迎えるまでの多感な時期、少しずつ喋れる言葉が増えていって会話が成り立ってくる頃にたくさん話しかけられるのは本当に嬉しかったですね。この後数年間、再び平日は顔を合わせない毎日に戻っても、お風呂で一緒に冷水浴びて笑ったことやキューピー3分クッキングのテーマ曲を口ずさんでかくれんぼしたことはかろうじて覚えておいてくれるかもしれません。

何だかそのくらい人生で重要な数ヶ月を奇しくも一緒に過ごせたような気分です。

④自分の時間ができたこと

通勤にかかる時間は片道約2時間。そのうち新幹線車内の1時間は比較的有意義な時間が過ごせるので決して無駄ではないのですが、やはり24時間のうち4時間が突然リリースされるってものすごいことですよね。

在宅勤務が導入された頃の僕は、いつもより1時間ほど惰眠を貪り、30分ほどモーニングコーヒーを満喫し、5kmのランニングに30分遣って仕事をスタートさせていました。これでも帰宅に要する2時間は手つかずなので、娘たちの相手をする時間も存分に残されていたわけです。

在宅勤務が続くにつれて段々と自分に甘えるところも出てしまいましたが、それでも朝は極力走り、仕事終わりには30分ほど薪割りをしたりすることで身体が鈍らないように努めてましたね。不仕事と在宅勤務の方が、定時の30分前には仕事モードに入り、18時前には切り上げるという規則的な生活が送れていたような気がしていて、結果仕事以外にかける時間も充実していました。

⑤何よりおうち時間が楽しかったこと

これは本当に実感しました。「住むより楽しむ」をコンセプトにしたBESSの家に実際住んでいますが、外出自粛中のおうち時間もやることばかりなんですね。

前回記事で紹介しましたが、前半は薪棚づくりに勤しみ、並行して庭にクラピアを植えました。ざっと100㎡ほどの範囲に合計80ポットのクラピア株を植えたのですが、腰を痛める重労働でしたね。他にもタイヤを履き替えたり、そのついでにシーズンタイヤを収納するラックを製作したり。晴れた日にはデッキにグリルを広げてBBQしたり、少し雨降りが続いた後半には、デッキにタープを張って映画鑑賞してみたり。天窓に当たる雨の音を聴きながらロフトでビールを飲んでいたときも至福でしたね。

どれも、旧宅のマンションでは絶対にできなかったことばかりで、ここに越してきていなければおうち時間をこれほど楽しめなかったでしょうね。

在宅勤務が生んだデメリットをいくつか

もちろん良いことばかりではなく、気になることはいくつか。最後に少し紹介して終わりにしたいと思います。

①歩数がめっきり減った

ランニングを再開した一番の理由なんですが、在宅勤務日はほんとに身体を動かさないんですよ。1Fのダイニングで朝ごはんを食べてから2Fで着替え、今では仕事部屋と化した一室にこもればもう仕事がスタートするわけですから、そりゃあ動かないですよね。

実際毎日腕につけているApple Watchが示す在宅勤務日の歩数とアクティビティレベルは、出社日から著しく低下します。。現在の暫定的な在宅勤務であれば何とか凌げるかもしれませんが、これが当たり前のこととなると話は別ですね。なかなか小さな娘が二人もいると、気軽にランニングに出かけるのも嫁に憚られて。

最近は嫁とトレッドミルかエアロバイクを導入しようかと本気で検討を始めました。お互い地方移住して体重増加した、なんて昔からの知り合いに笑われそうですからね。

②原則出社の日常に戻れる自信がない

やはり在宅勤務は楽ですよ。仕事の効率性はともかく、ゆったりできる朝の余裕、仕事後プライベートに戻れるスピーディさ、睡眠時間の確保や何より公共交通機関に乗らなくていい精神的解放感、どれをとってもプラスですよね。仕事が進んでいるかどうかは別として。

ただ緊急事態宣言に伴う暫定措置ですから、終わりは来るんですよね。週5日の新幹線通勤、、数ヶ月前はお馴染みだったそれも、何だか怖くて仕方ないです。

最後に

今年早々に移住を実行した僕たち家族の日常は大きく変化しましたが、あれから数ヶ月も経たないうちに国民全員が大小あれど未曾有の変化を迎えています。昨日と同じように生活できる毎日が安定していてよほど良いのかもしれませんが、このような危機がいつ起こってもおかしくない、ということをどこかで考えておかなければいけないんでしょうね。

特に此度の新型コロナウイルス感染は、一度収束したように捉えられていますが、第二波第三波がすぐに訪れる可能性も十分有り得ると考えておくべきだと僕は思っています。

勤務先も一旦はこれまでの日常に戻るものの、平常時でも在宅勤務という選択肢を設けられるようリモート環境の整備を加速させると発信していました。僕も家族の生活を守るため、今できること、これからやるべきことを常に意識していこうと今回誓ったのでした。

何だか硬くなりましたが、日記だと思って軽く読み飛ばしてもらえればと思います。それではまた。

 

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